中島川かっぱ紀行
こんばんは、春眠暁を Zzz...なかなか覚えない霹靂火です。
夏日が続きますが、萩の開花を待たずして
中島川に河童を探しに行きました。
長崎の河童(ガータロ、カワンタロ、河太郎...)は
白い萩の花を合図に川と山を移動するとされますが、
果たして河童に遭うことはできたのでしょうか?
父によると、
「20年ほど前に、中島川で『河童地蔵』を見た」
という話を十数年前に聞かされていましたが、
(そんなものあるのか?)と半信半疑でした。
今思えば、「霹靂火 雷公」として本格的に妖怪研究を始めたのがこの頃で、
何か縁があるような気がします。
父もずっと気がかりだったようで、
先日いっしょに中島川を眼鏡橋から上流へと散策しました。
眼鏡橋
中島川公園に「ぽんたくん」という鯨に乗った河童の像があるという記事が
『九州河童紀行』にありました。
中島川公園(当日見つけられなかったので、後日探しに行きました)
ぽんたくん(原作者:清水 崑)
この像は、昭和57年7月の長崎大水害を忘れないために、
平成4年に建てられました。
さて、川を眺めながら上流へ向かいます。
すると、途中の桃渓橋(ももたにはし)には、「河童灯篭」という
灯篭がありました。
河童灯篭
その名の通り、灯篭の中に河童の像が埋め込まれていますが、
実用には不向きで(無駄を愉しむ)妖怪っぽさが満載です。
ここは「長崎さるく」コースのはずなのですが、説明が一切ありません。
ますます妖怪っぽい(爆
さらに川を進むと、八幡町の辺りに、奇妙なお地蔵さんを発見!
かなり怪しいです(汗
すると、父は「昔見たのは、こんな地蔵ではなかった」と、
茂みを覗き込む…と、父が「これじゃなかとね?」と指差す先に、
・・・アヤシイ。
材質はプラスチックにモルタルを塗ったような感じですが、
確かに20年以上は経っているようです。
興奮気味の父は楽しそうに祠を指差します。
中島川河童洞 水神社 八天坊
どうやら、ここが目的の「河童地蔵」のようです。
私は、碑文の裏に書かれた「最所清」という名前に
見覚えがあったので、先述の『九州河童紀行』を引いてみました。
すると、
最所 清・長崎市、中島川河童八天坊の主人、洞窟を作り河童像を大集合。
祭りを開き、老若男女が集まり楽しんでいる。一匹カッパ。
・・・流石は「九州河童の会」。会員紹介も遊び心に富んでます。
これを堂々と書く方もどうかと思いますが、
読んでいる私も「同じ穴の貉」ならぬ「同じ窟(あな)の河童」なのでしょう(^_^;)
趣味で河童軟膏の再現に取り組んでいる私は、
建築関係に勤めていた父や、
宮大工だったと伝え聞く高祖父(ひいひいじいさん)と同じく、
大工の手伝いをした人形の成れの果てである河童たちの血を
脈々と伝えている気がしてなりません。
のんびりと川を漂うクサガメを河童の甲羅に準えて、
ゆったりとした河童の生活を夢に見る霹靂火でした。
夏日が続きますが、萩の開花を待たずして
中島川に河童を探しに行きました。
長崎の河童(ガータロ、カワンタロ、河太郎...)は
白い萩の花を合図に川と山を移動するとされますが、
果たして河童に遭うことはできたのでしょうか?
父によると、
「20年ほど前に、中島川で『河童地蔵』を見た」
という話を十数年前に聞かされていましたが、
(そんなものあるのか?)と半信半疑でした。
今思えば、「霹靂火 雷公」として本格的に妖怪研究を始めたのがこの頃で、
何か縁があるような気がします。
父もずっと気がかりだったようで、
先日いっしょに中島川を眼鏡橋から上流へと散策しました。
眼鏡橋
中島川公園に「ぽんたくん」という鯨に乗った河童の像があるという記事が
『九州河童紀行』にありました。
中島川公園(当日見つけられなかったので、後日探しに行きました)
ぽんたくん(原作者:清水 崑)
この像は、昭和57年7月の長崎大水害を忘れないために、
平成4年に建てられました。
さて、川を眺めながら上流へ向かいます。
すると、途中の桃渓橋(ももたにはし)には、「河童灯篭」という
灯篭がありました。
河童灯篭
その名の通り、灯篭の中に河童の像が埋め込まれていますが、
実用には不向きで(無駄を愉しむ)妖怪っぽさが満載です。
ここは「長崎さるく」コースのはずなのですが、説明が一切ありません。
ますます妖怪っぽい(爆
さらに川を進むと、八幡町の辺りに、奇妙なお地蔵さんを発見!
かなり怪しいです(汗
すると、父は「昔見たのは、こんな地蔵ではなかった」と、
茂みを覗き込む…と、父が「これじゃなかとね?」と指差す先に、
・・・アヤシイ。
材質はプラスチックにモルタルを塗ったような感じですが、
確かに20年以上は経っているようです。
興奮気味の父は楽しそうに祠を指差します。
中島川河童洞 水神社 八天坊
どうやら、ここが目的の「河童地蔵」のようです。
私は、碑文の裏に書かれた「最所清」という名前に
見覚えがあったので、先述の『九州河童紀行』を引いてみました。
すると、
最所 清・長崎市、中島川河童八天坊の主人、洞窟を作り河童像を大集合。
祭りを開き、老若男女が集まり楽しんでいる。一匹カッパ。
・・・流石は「九州河童の会」。会員紹介も遊び心に富んでます。
これを堂々と書く方もどうかと思いますが、
読んでいる私も「同じ穴の貉」ならぬ「同じ窟(あな)の河童」なのでしょう(^_^;)
趣味で河童軟膏の再現に取り組んでいる私は、
建築関係に勤めていた父や、
宮大工だったと伝え聞く高祖父(ひいひいじいさん)と同じく、
大工の手伝いをした人形の成れの果てである河童たちの血を
脈々と伝えている気がしてなりません。
のんびりと川を漂うクサガメを河童の甲羅に準えて、
ゆったりとした河童の生活を夢に見る霹靂火でした。
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テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー
ジャンル : 謎